こんにちは!RYO英会話ジムのリョウです。
今日は
「20代で海外で働いて本当によかったと思う5つの理由」
についてお話しします。
サブタイトルは、「レールから外れた人生は最高だった」です。
もしあなたが、
「海外で働いてみたいけど、自分にできるかな…」
「グローバルな環境で働くって実際どうなの?」
と考えているなら、きっと参考になる内容になっています。
この体験を通じて、僕自身の価値観やキャリアの方向性は大きく変わりました。
海外での経験は、若いうちほど人生にインパクトを与えてくれる――これは間違いありません。
今回は、その理由を5つに分けて、わかりやすくご紹介します。
読んでくださる皆さんにとって、
「自分らしい人生やキャリアをどう選ぶか」を考えるヒントになれば嬉しいです。
それでは、さっそく1つ目の理由から見ていきましょう!
1つ目の理由:レールから外れたら、自分の「やりたいこと」だけに意識が向いた

1つ目の理由は、
「レールから外れたことで、自分の本当にやりたいことに集中できた」ということです。
どういうことかというと、
「いい学校→いい大学→大手企業に就職」というような、世間の“正解ルート”から外れたことで、
他人の期待や固定観念に縛られなくなり、心の底から情熱を持てることにフォーカスできたんです。
「レール」に違和感を覚えた学生時代
今でこそ、ネットやSNSのおかげで自由な働き方が当たり前になりつつありますが、
13年前の当時は、まだまだ「レールを外れる=脱落者」みたいな空気がありました。
僕自身、中学生の頃からその「レール」の存在を感じていました。
親や先生、塾の先生たちに、
「これが正しい生き方なんだよ」と、自然に刷り込まれていたんですね。
だから、大学卒業後はとりあえず就職活動を始めました。
英語が好きだったので、貿易会社や語学スクールの面接を受けたりもしました。
でも、なぜか心の中でずっと引っかかっていたんです。
海外での経験が、価値観を大きく変えた

その理由に気づいたのは、
大学時代にオーストラリアで働いたり、フィリピンで語学留学をした経験のおかげでした。
海外では、年上の日本人の先輩たちに色々と教えてもらったり、
現地のお店でアメリカ人・オーストラリア人と一緒に働く中で、
「日本の“正しい生き方”って、世界では当たり前じゃないんだ」と実感しました。
亡き父のひとことで、迷いが吹き飛んだ
そんなある日、父に就職活動のモヤモヤを相談したところ、
「将来、海外で働きたいからこそ、今まで海外で学んできたんじゃないのか?」
とひとこと言われたんです。
その瞬間、心の中でスイッチが入りました。
「ああ、自分が本当にやりたかったのは、これだ」と、ハッキリ気づいたんです。
あの時の父の言葉は、
自分の夢に気づかせてくれただけでなく、背中を強く押してくれました。
レールを外れてからのスピード感と成長
その後の行動は早かったです。
1ヶ月後にはマニラで就職活動を始め、2ヶ月後には卒業と同時に海外での就職が決まりました。
当時、新卒で海外就職を選んだ人は、僕の周りにはいませんでした。
だからこそ、「自分は新しい道を切り開いてるんだ」というワクワク感がありました。
そして、そこからの人生は、まさに加速。
翻訳・通訳、教材開発、講師、カウンセラー、研修の企画まで、
いろんな仕事を経験させてもらいました。
若いうちに挑戦したからこそ、たくさんのチャンスをつかめた。
それは、今でも大きな財産になっています。
まとめ:自分の「やりたい」を信じて動く
だからこそ、伝えたいのはこれです。
他人が決めた“レール”に乗らなくてもいい。
自分の「やりたい」を信じて動けば、人生はちゃんと開けていく。
📩 英語を話せるようになる第一歩として、リョウが無料で学習相談を実施中です。
発言内容の見える化や添削で、あなたの課題を明確にし、次の一歩を一緒に見つけましょう。
2つ目の理由:日本の同期より、圧倒的に多くの仕事を経験できた

海外で働いて良かったと思う2つ目の理由は、
「日本にいた同期よりも、はるかに多くの実務経験を積めたこと」です。
当時は、日本人が海外で働くのはまだ珍しかった
今でこそ、日系企業の海外進出が進み、特にIT業界では若手社員が海外に派遣されるケースも増えています。
実際、最近のマニラでは20代の日本人男性を見かける機会も珍しくありません。
でも、僕が20代前半でマニラに渡った頃は、現地で働く日本人なんてほとんどいませんでした。
まさに“先駆者”のような立場だったんです。
若くして、いきなり責任あるポジションに抜てき
そんな中、僕が入社したのは立ち上げ間もないベンチャー企業のマニラ法人でした。
そこでなんと、20代前半にして教材開発部署の部長に任命され、
アメリカ人やインド人の部下がつくという環境に飛び込みました。
さらに、副社長として資料にサインをするような仕事も任され、
本来なら経験豊富なビジネスパーソンが担うような業務を、若さとエネルギーだけで引き受けることになったんです。
正直、実力以上の役割だったと思います。
でも、そんなポジションを任せてもらえるのも、海外ならではの環境だったと感じています。
日本とはまったく違う「市場価値」の世界
なぜ、こんな経験ができたのか?
それは、「場所をずらした」ことで自分の市場価値が一気に変わったからです。
日本では、同じような経歴・年齢の同期が多く、
どうしても学歴や社歴、社内評価で比較される環境になります。
結果、若いうちは“管理される側”が当たり前で、昇進も時間がかかるのが普通です。
でも、海外ではその構造がガラッと変わります。
特にマニラでは、英語がある程度話せる日本人はとても貴重な存在でした。
現地の上司やスタッフからの信頼も自然と得られ、
「日本人にしかできない仕事」をどんどん任されていったんです。
しかも、新卒でマニラに来たのは僕だけという状況だったため、
他の誰とも比較されることなく、独自のポジションを築くことができました。
経験量が、そのままキャリアの加速に
つまり、
「自分が活躍できる場所を選ぶ」ことが、圧倒的な成長につながる。
僕自身、日本で働いていた同期に比べて、
圧倒的に多くの仕事、責任、そしてチャンスを経験できたと実感しています。
そしてその経験は、
その後のキャリアやスキル、考え方にも大きく影響を与えてくれました。
3つ目の理由:考え方が柔軟だったから、いろんな価値観を吸収できた

3つ目の理由は、
「若いうちに海外に出たことで、考え方が柔軟で、さまざまな価値観をすんなり受け入れられた」ということです。
日本的な働き方に染まる前だった
僕が新卒で海外に出たときは、まだ日本の企業文化にどっぷり染まっていない時期でした。
だからこそ、「日本ではこうすべき」といった思い込みがほとんどなかったんです。
むしろ、学生時代にオーストラリアでアメリカ人やオーストラリア人と一緒に働いていたこともあって、
外国人の自由な働き方の方が、自分にとっての“普通”になっていたんですよね。
マニラでも、自分と同世代のスタッフたちと自然に打ち解けることができ、
特にストレスを感じることもありませんでした。
若さが、違いを受け入れる力になった
これは本当に実感しているのですが、
もし30代や40代になってから海外に出ていたら、適応するのはもっと大変だったと思います。
実際に、40代でマニラ勤務を始めた人の中には、
フィリピン人スタッフの働き方に戸惑ったり、
ストレスを抱えている方も少なくありませんでした。
でも、僕はまだ若かったこともあって、価値観の違いを受け入れるハードルがとても低かったんです。
「日本じゃありえない」ことも、受け入れられた
例えばこんな場面がありました:
- 上司に「残業してほしい」と言われても、「家族が大事だから」と帰宅するスタッフ
- 仕事中に彼氏を職場に連れてくる女性社員
- 年下のスタッフが、上司に堂々と意見をぶつける姿
日本ではあまり見かけない光景かもしれませんが、フィリピンではそれが“当たり前”。
そんな環境の中でも、僕は自然に「こういう文化なんだな」と受け入れられたんです。
「常識」から自由になると、世界が広がる
このような日々の積み重ねを通して、
「日本の常識=世界の常識ではない」ということを肌で感じました。
若いうちにこういった多様な価値観に触れられたおかげで、
僕の思考や視野はどんどん広がっていきました。
そしてその結果、異なる文化や価値観を受け入れられる“心の柔軟性”が育ち、
最終的に国際結婚という人生の大きな選択にもつながりました。
異文化を受け入れる柔軟性は、一生の財産
今振り返って思うのは、
若いうちに、違う価値観をたくさん吸収できたことが、人生で大きな強みになっているということ。
もちろん、日本的な価値観も大切にしつつ、
それだけに縛られないバランス感覚を持てたことは、
海外でも、日本でも、どこにいても通用する力だと感じています。
4つ目の理由:英語を身につけたことで、人生が一気に広がった
4つ目の理由は、
「英語を身につけることができたこと」です。
これは、僕のキャリアにも人生にも、計り知れないほど大きな影響を与えてくれました。
若さは、語学習得における最強の武器
これまでにもお話ししてきたように、若さには吸収力という最大の武器があります。
この特性は、語学学習でも大きく力を発揮しました。
もちろん、大人になってからでも英語をマスターすることは可能です。
ただ、集中力・体力・好奇心の面では、やはり若い時のほうがスピードが出やすいと感じます。
僕自身、もともと英語に強い興味がありました。
その情熱とエネルギーが相まって、学びのスピードは一気に加速していきました。
「どんなチャンスも逃さない」という前向きな姿勢
当時の僕は、
「使える場面があれば、絶対に英語で話してみる」という意識で日々を過ごしていました。
完璧な英語でなくてもいい。
失敗を恐れずにどんどん挑戦する姿勢が、学びのチャンスを自然と引き寄せてくれたんです。
そして、その積極性が評価されて、
英語を使う仕事をどんどん任せてもらえるようになりました。
英語が、仕事と人間関係の可能性を広げてくれた
英語力が上がると、単に言葉が通じるようになるだけではありません。
仕事の選択肢が広がり、人間関係も国境を越えて豊かになるんです。
僕も、英語を通じて
- 海外のクライアントとのやり取り
- 国際チームでのプロジェクト
- 世界各地に住む友人たちとの交流
など、今まで想像もしなかった世界に触れることができました。
苦痛だった英語が、いつの間にか「当たり前」に
気づけば、海外生活も10年以上。
5年目くらいには、英語を話すことに対するストレスや苛立ちは、ほぼなくなっていました。
もはや、「英語を使っている」という感覚すらないくらい、自然になっていたんです。
英語がくれた、豊かで自由な人生
振り返ってみると、
このスピード感と吸収力は、間違いなく「若さ」のおかげだったと思います。
そして、英語を身につけたことは、
僕のキャリア・人間関係・価値観、すべてを広げてくれた、人生における大きな転機でした。
5つ目の理由:キャリアの選択肢が一気に広がった

最後の理由は、
「結果として、自分のキャリアの選択肢が大きく広がったこと」です。
海外に出る前は、不安のほうが大きかった
正直に言うと、海外で働くことを決めた当初は、
「日本のキャリアから外れてしまうのでは?」という不安もありました。
- 海外経験って日本でちゃんと評価されるのかな?
- 日本に戻ってきたら“よそ者”扱いされるんじゃないか?
そんなモヤモヤを抱えていたのを覚えています。
英語力とグローバル経験が武器になった
でも実際に海外で働き、英語力とグローバルなマインドを身につけたことで、
“働ける場所”そのものが、日本だけでなく世界中に広がっていったんです。
その結果、
応募できる仕事の数も、キャリアの可能性も、一気に広がりました。
たとえば、外資系企業や多国籍プロジェクト、海外とのやり取りがある部署など、
「英語ができること」「海外経験があること」は、今ではむしろ大きなアドバンテージです。
今の時代に求められる“二刀流人材”
現代は、どの業界でもグローバル化が進んでいます。
そんな中で、
- 海外でも働ける
- 日本企業の文化も理解している
という“二刀流人材”は、企業からとても重宝されるようになっています。
つまり、かつては「リスク」と思われていた海外経験が、
今では“希少価値”として高く評価される時代になったんです。
経験が、起業という選択肢も後押ししてくれた
僕自身は、最終的に自分でビジネスを立ち上げる道を選びましたが、
その背景には、20代で培った海外経験が確実に活きています。
「会社に勤める」以外にも、「自分で道をつくる」という選択肢が自然と見えてきた。
これもまた、若いうちに視野を広げられたからこそ得られた成果だと感じています。
若いうちの決断が、未来の自由をつくる
もし、30代になってから海外に出ていたら、
すでにある程度キャリアが固まっていて、
ここまで柔軟に動けなかったかもしれません。
だからこそ僕は、
若いうちに海外で経験を積むことは、将来のキャリアの“自由度”を確実に広げてくれる
と強く感じています。
そしてこれは、20代で海外に出て働いたことの、最大の成果のひとつだと思っています。
最後に伝えたいこと:当たり前じゃない「当たり前」に気づけたこと
最後にお伝えしたいのは、
海外に出る前の自分は、本当に“甘えた存在”だったということです。
親が助けてくれるのは当然。
毎日3食食べられるのも、学校に通えるのも、仕事があるのも、
安全で清潔な家に住めるのも、全部“当たり前”だと思っていました。
世界のリアルに触れて、価値観が大きく変わった
でも、実際に海外に出てみて、
その「当たり前」がどれほど恵まれたものだったのかを、痛いほど思い知らされました。
現地では、
- 母子家庭や貧困家庭が多いこと
- 1日1食で暮らす人たち
- 仕事が見つからず必死に生きている人たち
- 安全な住まいを確保できない家庭
- 学校に行けずに働かざるを得ない子どもたち
そんな「日本では考えられない現実」が、日常としてそこにありました。
知識としては知っていたつもりでしたが、
実際にその現実を“目で見て”“肌で感じた”とき、心が大きく揺さぶられました。
自分の人生がどれだけ恵まれていたかに気づけた
その瞬間、
自分がどれだけ守られた環境で生きてきたのかに、深く気づかされました。
そして同時に、日本という国のありがたさも、強く感じるようになりました。
「だからこそ、自分にできることを全力でやりたい」
この経験から、僕の中には一つの強い想いが生まれました。
「恵まれているからこそ、自分にできることを精一杯やっていこう」
そして、自分の力で、少しでも世の中の役に立ちたい。
守れるものを守りたい。
そんな気持ちが、自然と芽生えたんです。
感謝の心を忘れずに、生きていきたい
今では、
- 自分のやりたいことがあること
- 素晴らしい親や支えてくれる人たちがいること
- 健康で安全な場所に暮らせること
こうした「当たり前のように見える日常」に、心の底から感謝しています。
もちろん、日々の中で愚痴をこぼすこともあります。
でも、その根底にはいつも「ありがとう」という感謝の気持ちがあるんです。
そしてその気持ちは、これからもずっと変わらないと思います。
これが、僕が海外で得た“人生最大の財産”
20代で海外に出たことで得たものは、
スキルでも、実績でもなく、
「人としての在り方」そのものでした。
“感謝を土台にして生きる”という、人生における一生の財産。
これが、僕が海外に出て一番大切にしている学びです。
記事のまとめ:20代で海外に出て得た「人生を変える5つの理由」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回ご紹介した
「20代で海外に出て働いてよかった」と心から思える5つの理由は、以下の通りです。
✅ レールから外れたことで、自分の「やりたいこと」に集中できた
固定観念や他人の期待から解放され、自分らしい選択ができるようになった。
✅ 同期より圧倒的に多くの仕事を経験できた
若いうちに責任ある立場を任され、実力以上の成長チャンスを得られた。
✅ 柔軟な思考で、異なる価値観を自然に吸収できた
文化の違いを素直に受け入れ、多様な考え方を学び、自分の幅が広がった。
✅ 英語を身につけ、世界中とつながれる力がついた
英語を通じて仕事も人間関係も広がり、国境を越えたキャリアが築けた。
✅ キャリアの選択肢が大きく広がった
海外経験を通じて、日本・海外どちらでも活躍できる可能性が開けた。
そして最後に──
最も大きな学びは、
「自分がどれだけ恵まれていたかに気づけたこと」でした。
海外に出て、当たり前と思っていたすべてが「当たり前じゃなかった」と知り、
その経験が僕の価値観を根本から変えてくれました。
あなたへ伝えたいこと
今の環境から一歩外に出ることで、人生は大きく変わります。
その一歩は、きっとあなたにとって“自由と可能性”への扉になります。
20代での挑戦は、迷いも不安もあると思います。
でも、その先にある「出会い」「成長」「発見」は、想像以上です。
この記事が、あなたが一歩踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
コメントを残す