こんにちはRYO英会話ジムのリョウです。今日は僕の母は英会話講師についてお話します。この記事を読めば、 RYOについてもさらに知ることができます。それでは、まいりましょう。
実は講師歴20年以上のベテラン
今まで、ブログで母について書いたことがありませんでした。なぜ書こうかと思ったかというと、僕が今こうして英語を通じてお仕事をさせてもらっているのも、母がとても関係しているからなんです。僕が10歳のころぐらいから母はECC子供英会話のホームベース講師をしています。もう62歳になりましたがいまだに楽しく教えています。
こんな感じで、ずーとやっています。今だに、授業を始める前は緊張すると言って、20年経っても慣れない様子です。でも、そういった緊張感があるから、逆に飽きずに続けられるんだろうと思います。そして、僕と似たようにまだまだ英語がうまくなりたいのか、毎週、近所の英語サークルにいって英語の勉強会を開いています。
さらにオンラインでも語学交換サイトを利用して、外国人とあるお話したり、友達をどんどん増やしていっています。だいたい夜の10時ごろになると、「今からマルコスさんとお話してくるわ」と言い出します。
「え、誰?」って感じですがそんな様子で、ネット上でも海外の友達たくさんいるのです。面白い母だなといつも思います(笑)英語に留まらず、10年前ぐらいからイタリア語の勉強も始めました。今では、日常会話はまったく問題なく話せるレベルになりました。面白いのが、たまに家の中で、タガログ語、英語、イタリア語、日本語が飛び交っているときがあります。妻のアイヴァンがフィリピンの家族と英語とタガログ語でビデオチャットしていたり、母がイタリアの友達と話していたり、僕と父が話していたりすると、ここどこの国状態です。
母の影響は大きかった
小学校4年生のころに、母からほぼ強制的に英語を教えられました。1年ほど、続いたのかな。そして最終的には身内から教えてもらうのは、緊張感がなくやめてしまいました。それに比べて、母が率先してやっていたホームステイは、とても楽しかったんです。その当時、英語はまったく話せませんでした。
でもジェスチャーでなんとか通じたときの喜びは今でも覚えています。また、母がスムーズに英語を話しているのをみて、いつしか憧れるようになっていきました。いつかあんな風に、たくさんの国籍の人と話せたらなって。そういった経験がおそらく、今の自分に大きく繋がってるんだと思います。なので、個人的には子供のころの環境ってとても大事だと思います。
こんなときありがたい
僕は国際結婚をしたので、普段の会話はすべて英語です。もちろん、タガログ語や日本語を教えあうことはあります。しかし、一度もそれらがお互いのコミュニケーションのツールになることはありませんでした。お互い同じ英語業界で働いていたこともあり、自然と英語が二人の共通言語になりました。
また英語が一番シンプルでわかりやすいというのもあります。特に日本語は、外国人にとって習得するのに難しい言語だと言われます。また、日本人にとってまったくのゼロからタガログ語を学ぶより、ある程度基礎を知ってる英語を伸ばしたほうが早かったりします。
もちろん最終的にはそれぞれの母国語もある程度話せるようになるのが理想的。そして、ここで母の出番。母は英語を問題なく話せるので、3人でお酒を飲みながら、たわいもない話から政治の話までします。それがとてもありがたい。そういう空間があるだけでも、僕にとってもアイヴァンにとっても安心感があるし、信頼関係もさらに構築しやすくなります。
ただ父はほとんど話せません。そこで黙っておかないところが父のいいところで、関西パワーで日本語をどんどんアイヴァンに話しかけています。あたかも日本人に話すかのように(笑)でも、それはそれでアイヴァンの日本語の勉強になるのでとてもありがたいのですね。半分以上はわかっていないと思いますが、その都度僕が通訳しています。家の中で、特に母の存在は大変ありがたいんです。問題なくコミュニケーションがアイヴァンと母の間で取れることで、たくさんのことがスムーズに進みました。グローバル化が進む現在、やはり国際言語である英語を身につけておいて損はないなと思います。
突然息子さんや娘さんが、外国人と結婚するってことは今の時代だと全然ありえますね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。以上が、僕の母は英会話講師についてでした。それでは、See you around!
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