最適化したカリキュラム、課題、改善策だからこそ成長できる

仕事も遊びも充実!海外就職した僕が体験した最初の180日

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RYO英会話ジム代表: 横田涼
/【代表】横田涼のプロフィール/
セブ&オーストラリアに留学し、7年間の海外勤務を経て、2019年にRYO英会話ジムを起業。

経歴:KLab株式会社で翻訳兼通訳者として勤務し、その後、Unhoop株式会社(大手英会話スクールhanaso)に転職。スタディサプリの有名講師、関正生さんと共同で自社メソッドを開発し、多くのヒット教材を制作。その後、講師やカウンセリングも担当。さらに株式会社Alueに転職し、三菱UFJやUNIQLOなどの大手日系企業向けに短期集中ビジネス英語研修を提供し、数百名以上の「英語が話せる日本人」を育成。

/RYO英会話ジムのアピールポイント/
1. 業界No.1の圧倒的なアウトプット量
2. レッスン内で発言内容の見える化&添削
3. 課題と改善策、カリキュラムのパーソナライズ
4. あなたに寄り添う定期的なカウンセリング

マニラ就職のリアル:初めての海外勤務と成功の感覚

はじめに:未知の世界への第一歩

25歳、新卒。だけど、日本の普通の新卒とは少し違う。2年間の海外経験を経て、日本ではなくマニラでの就職を決めた。

「本当にここでやっていけるのか?」
「この選択は正しかったのか?」

そんな不安を胸に、僕はフィリピン・マニラに降り立った。当時、オンライン英会話事業は急成長を遂げつつある分野。僕が入社した会社も、まさにスタートアップの勢いを持っていた。オフィスは15畳ほどの小さなスペース。フィリピン人スタッフが5名、日本人駐在員が1名、そしてフリーランスの日本人カウンセラーが1人。まさにこれから軌道に乗るぞ、という空気が漂っていた。

そして僕は、そんなベンチャー企業の新たなメンバーとして迎えられた。

新天地マニラ:想像以上の都会と快適な生活

僕の職場は、フィリピン最大のビジネス街「アヤラ通り」にあった。
到着して驚いたのは、マニラの発展ぶりだった。

「え、マニラってこんな都会だったの?」

ビルが立ち並び、ショッピングモールも充実している。聞いていた話とは違い、治安もそこまで悪くない。むしろ、気をつけていれば大阪の繁華街と大差ないように感じた。

さらに、初任給は約20万円。日本の初任給とそこまで変わらないが、フィリピンの物価を考えれば、体感的には日本で30万円以上もらっている感覚だった。

お金が自由に使えるようになると、生活は一変した。

金曜の夜には上司と高級クラブへ。週末は現地の友人と飲み歩き、気に入った服があればZARAでポンと買う。気づけば二週間に1回は服を買っていた。

それでも、余裕があった。

これまで学生生活で節約し続けた反動もあったのだろう。人生で初めて「お金を気にせずに遊べる喜び」を知った。

仕事は新鮮、すべてが学びだった

業務は、教材開発カスタマーサービス を担当した。

もともと英語の勉強が好きだったから、教材開発の仕事は楽しめた。
さらに、過去にアパレルや飲食店でアルバイトをしていた経験も活かせた。
オンラインでのお客様対応も新鮮で、新しいスキルがどんどん身についていく。

「この仕事、楽しいな。」

好きなことを仕事にできている。
新しい環境で新しいスキルを身につけている。
海外で働いている自分に誇りを持てる。

そんな気持ちが、毎日をワクワクさせてくれた。

優越感に浸った半年間

僕はどこかで「勝ち組」になった気がしていた。

「日本で普通に就職するよりも、特別な道を歩んでいる」
「同期に少しは自慢できるかも」

そんな気持ちが心のどこかにあった。
好きな仕事ができて、収入も悪くなく、プライベートも充実。
この半年間は、まさに理想的な日々だった。

しかし、次第に心の奥に違和感が芽生え始める。

最初は小さな違和感だった。
でも、半年が過ぎた頃、それは無視できないほど大きなものになっていた。

「本当にこのままでいいのか?」
「何かが足りない気がする…」

その違和感が何なのか、僕はまだはっきりと分かっていなかった。

次回へ:マニラ生活に潜む違和感とは?

最初の半年間は順調だった。
でも、順調すぎるがゆえに気づいていなかったことがある。

僕の心に芽生えた違和感の正体とは?
マニラでの生活にどんな変化が訪れるのか?

次回、その続きをお話ししよう。

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