初めての冒険――21歳のセブ留学
21歳のとき、僕は未知の冒険に飛び込みました。それはたった2週間のセブ留学でした。当時、セブ留学はまだ広く知られておらず、オンライン英会話も限られた選択肢しかなかったのです。
東南アジアの魅力に魅了された瞬間
実は、その前に兄と友人たちとタイに行った経験が、僕の心に新たな扉を開きました。東南アジアの活気溢れる街並みと生き生きとした人々の姿に、僕は心を奪われました。幼少期に訪れたアメリカやカナダとは異なるその違いに、心の奥底で何かが熱くなるのを感じたのです。
セブでの驚きと歴史の発見
「フィリピンってどんな国なんだろう?」その好奇心に突き動かされ、僕はセブへ向かいました。先生たちのアメリカそのものの英語発音に驚き、「どうしてこんなに質が高いんだろう?」と疑問に思いました。そして、その答えを求めてフィリピンの歴史を調べると、かつてアメリカの植民地だったという事実に行き着いたのです。「歴史がここまで未来を変えるのか」と、その影響の大きさに衝撃を受けました。
英語に込められた“支配”の意味
ある日、先生から「英語を話すことは、アメリカにコントロールされていると感じますか?」と尋ねられました。日本では英語はキャリアアップや趣味の一環として考えられますが、フィリピンでは英語が生きるための必須条件です。その違いを感じたとき、英語という言語に隠された“支配”の意味を理解しました。21歳の僕にとって、それは世界観を根底から揺るがす大きな発見でした。
日本では、英語を話せることは多くの人にとってアドバンテージとされます。しかし、その背景には、日本語だけで生活が成り立つという、非常に恵まれた環境があるのです。これは、日本が先進国であり、独自の文化が高いレベルで発展しているからこそ成り立つ現象です。この事実は、他の先進国に滞在していたら見逃していたかもしれません。しかし、フィリピンでの経験から、日本のその特権的な環境に気づかされ、英語が持つ“支配”の意味がさらに深く理解できるようになりました。
長期留学への決意
帰国後も心はセブ留学の余韻に包まれていました。「もっと長期で行きたい」と思うようになり、その願いは22歳のときに叶いました。大学の休学制度が改定され、休学費用が数万円になったのです。このチャンスを逃すわけにはいかず、僕はすぐに大学を休学し、長期のセブ留学を決意しました。
この経験が、僕の視野を広げ、今後の人生を大きく変えていくきっかけとなったのです。