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「驚愕の環境ギャップ!」半年後に気づいたマニラ勤務の5つの違和感

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RYO英会話ジム代表: 横田涼
/【代表】横田涼のプロフィール/
セブ&オーストラリアに留学し、7年間の海外勤務を経て、2019年にRYO英会話ジムを起業。

経歴:KLab株式会社で翻訳兼通訳者として勤務し、その後、Unhoop株式会社(大手英会話スクールhanaso)に転職。スタディサプリの有名講師、関正生さんと共同で自社メソッドを開発し、多くのヒット教材を制作。その後、講師やカウンセリングも担当。さらに株式会社Alueに転職し、三菱UFJやUNIQLOなどの大手日系企業向けに短期集中ビジネス英語研修を提供し、数百名以上の「英語が話せる日本人」を育成。

/RYO英会話ジムのアピールポイント/
1. 業界No.1の圧倒的なアウトプット量
2. レッスン内で発言内容の見える化&添削
3. 課題と改善策、カリキュラムのパーソナライズ
4. あなたに寄り添う定期的なカウンセリング

半年後に訪れた違和感:マニラで見つけた「生きる」リアル

こんにちは、RYO英会話ジムのリョウです。
今回は、マニラに就職してから半年が過ぎた頃に気づいた「違和感」についてお話しします。最初の半年間は、海外生活の新鮮さや、思い切り遊べる経済的余裕のおかげで充実感に浸っていました。でも、その後、ふとしたきっかけで「自分は今、何をしているんだろう?」と立ち止まる瞬間が訪れました。まるで華やかな舞台の照明が落ち、一人ステージに取り残されたような感覚。それが、マニラで暮らすうちに段々と見えてきた「本当の現実」だったのかもしれません。

 

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優秀すぎるフィリピン人たちとの格差

半年ほど経った頃、同僚や友人たちと食事に行く機会が増えました。ある日の夕食で、僕以外は全員フィリピン人のメンバーだったんです。一人は大手モールのエルメスショップの店員、もう一人は大学の教員、そしてフリーのライター。どの人も英語が流暢で、優秀だし、人当たりも抜群。

ところが、軽い雑談から収入の話に移った瞬間、空気が変わりました。彼らの視線が一斉に僕に向いて、「お前、月給いくらなの?」と。

正直に答えると、彼らは目を丸くして驚いていました。どうやら僕の月収は、彼らの2倍から4倍ぐらいあったようです。中にはエルメスで働いているのに月収5万円程度しかもらえていない人もいました。聞けば彼女は「親が裕福だから大丈夫」とあっけらかんとしていましたが、それもまた驚き。

「日本人だから」「日本企業だから」
そんな理由だけで、僕が彼らより高い給料を得ている――。むしろ彼らのほうが仕事もできるし、英語も圧倒的にうまいのに。「じゃあ、自分の価値って何なんだろう?」と、思わず黙ってしまいました。

 

自分の価値はどこにある?

入社して間もない頃は、「駐在員でもないし、そんなにもらってないよ」と思っていました。でも現地の人と比べると、部長クラスの待遇レベルだと知った時、心のどこかがザワザワして。

「自分はただ“日本人”ってだけで得をしているんだな」

先人たちが築いてきた日本の信頼の上に、自分がただ乗っかっているだけなのかもしれない。そう気づいてしまった瞬間、急に責任感というかプレッシャーを感じました。彼らは優秀で、すでに社会人としての経験も豊富。それなのに僕は「日本語ができる」「日本人向けのサービスを対応できる」というだけで、何倍もの給与をもらっているわけですから。やるからには手を抜けないし、もっと成長しなきゃいけない。そんな焦りと責任感が入り混じった感情が生まれました。

 

空気と治安のギャップ:日常が「非常識」になる瞬間

富裕層エリア
富裕層、駐在エリア

仕事だけじゃなく、生活の面でも大きなギャップを感じ始めました。
マニラの中心部は想像以上に発展していて、高級コンドミニアムやショッピングモールが並んでいます。

大都会の真横に貧困エリアが広がる
高層ビルや高層マンションの真横に貧困エリアが広がる日常

でも、その一方で、ちょっと場所を変えると空気がひどく汚れた地域もある。僕が最初に住んでいたのは、有名なエドサ通り沿いでした。古い車の排気ガスが充満し、夜中に咳き込んで目が覚めることもしばしば。ついに我慢できなくなって、比較的空気の良いエリアに引っ越したんです。

治安の面では「安全を買う」という表現がピッタリでした。モールの出口には物乞いをする子どもやお年寄りが常駐していて、慣れない頃は毎回心がチクッとする。でも、気が向いた時しか小銭をあげない自分がいて、気づけばこれが日常の光景になっている。

さらに、歩いている時に子どもが近づいてきて、財布を引っ張ろうとしたこともあった。その瞬間、「ああ、ここは日本じゃないんだ」と改めて実感しました。貧富の差が激しいこの国では、ちょっとした油断が命取りにもなりうる。そして何より怖いのは、その光景に慣れてきてしまう自分がいることでした。

 

後進国で働くということ

日本で生まれ育った僕にとって、子どもの頃から医療や教育、インフラが整った環境は「当たり前」でした。でも、マニラで暮らすうちに、それは「当たり前」なんかじゃないんだと痛感する。

「日本に生まれたからこそ、恵まれていたんだ。もっと頑張らなきゃ失礼だよな」

そう思うようになったのは、僕が後進国と呼ばれる場所で実際に働き、生活していたからこそ得られた感覚です。貧困や治安、インフラの整備状況が原因で学びたくても学べない、働きたくても思うように働けない人たちが大勢いる。そんな現実を見ると、日本で「やる気が出ない」とか「会社がつまらない」と嘆いていた自分がなんて甘かったのかと恥ずかしくなります。

 

半年を過ぎて感じる麻痺と再認識

マニラでの生活は、気づけば当初のワクワク感から一転、「違和感と慣れ」の狭間にいました。最初は非日常だった物乞いや空気の悪さが、いつの間にか僕の日常になってしまった。

「ここで感じるものは何なんだろう?」
「このまま慣れてしまっていいのかな?」

自分自身が無感情になっていくことが少し怖かったんですよね。ただ、その反面、「これがリアルな世界の姿の一部なんだ」と理解できたのも事実です。旅行者として来るのと、住むのとでは見えるものがまるで違う。

そんな現実と向き合う中で、僕は自分の存在意義を問いかけるようになりました。日本人としてのアドバンテージをどう活かすか?どうやって目の前の仕事に価値をつけるか?どうすれば自分のスキルを磨いて、同僚たちと対等に働けるようになるのか?

 

おわりに:違和感は次へのステップ

半年を過ぎてからのこの「違和感」は、僕にとって重要なきっかけとなりました。
何の疑問も持たずに「自分はこれでいいんだ」と思っていたら、成長は止まっていたはず。
不均衡を知り、葛藤を感じ、そして自分の役割を真剣に考える。

マニラで暮らす中で生まれた「違和感」は、どこか苦しくもありましたが、僕を次のステージへ進めてくれた大切な鍵でした。

やがて僕は、この国の政治や経済、資本主義のからくりにも興味を持ち始めます。
ただ「海外で働くのって楽しそう」で終わらない、「現地で生きる」という奥深さを学ぶ日々の始まりでもありました。

次回は、そんな「違和感」を経て、僕がどんな行動を起こしたのかをお話ししようと思います。最後まで読んでくれてありがとう。また次のブログでお会いしましょう!

RYO英会話ジム